Et Alors?

 11日の3時過ぎ、いつものようにデスクで仕事をしていたら、スタンドにぶら下がっているサルのぬいぐるみが揺れ始めた。「あ、地震だ・・・」と思い、twitterにつぶやいた。「あ、地震だ。結構大きい・・・」

 東京あたりは地震が多いので、子供のときから、「あ、揺れてる・・」という感覚には慣れており、今回も、初めはあまり慌てることはなかった。ところが、揺れがだんだんひどくなり、「これは・・」と思った瞬間、自分の背後には本棚が3つ、ビッチリ本が詰まっている上に本棚の上にも箱が重なっている事実に気付く。そして、その前には、四肢が麻痺しているダルメシアンのビビが寝ている。とっさにビビを抱きかかえ、廊下に出た。揺れがひどいので、廊下に座り、揺れがおさまるのを待った。横須賀市からの放送がサイレンとともに繰り返し流れた。「津波に十分注意してください!海岸から離れてください。」

 私が住んでいるこの地区は、三浦半島。相模湾に近く、海岸から2.3kmほどだが、標高200mぐらいの高台に立っている。それでも津波の恐れがあるという横須賀市からの放送を聞くと、緊張感が増す。

 揺れがおさまってPCの前に戻ると、長男の嫁さんが「死ぬかと思った」と、つぶやいていた。あ、大丈夫だったんだな。とそこで安心した。妊娠8ヶ月なので、一瞬心配したが、とりあえず呟いていたので大丈夫だろう。次に次男から電話が入った。「大丈夫?プヨプヨ以外は確認できた。プヨプヨがわからないから心配。」プヨプヨとは、「死ぬかと思った」とつぶやいたお嫁さんである。「つぶやいていたから・・・」といいかけたら電話は切れてしまった。

 TVをつけた。お台場から黒い煙が出ていた。事態が深刻なのか・・・。と不安になった。次男のお嫁さんもtwitterでつぶやいていた。編集の仕事をしているのがわかった。そのうち、長男のお嫁さんから、無事の連絡。続いて長男のお嫁さんの妹、次男のお嫁さんの兄妹の無事も確認。間もなく、今月米寿を迎えた神戸の義父から連絡が入った。神戸の両親は、阪神淡路大震災を経験している。とりあえずの無事を知らせた。

 ほっとしたところでネットが繋がらなくなった。JCOMに電話すると、この地域に障害が起きているという。「TVは見れますか?」と聞かれたのでつけてみたら見られない。仕方がないので情報収集は携帯に切り替えたが、softbankは使えなかった。もちろん普通の電話も使えたり使えなかったり。

 夜になって、再びTVをつけてみた。入力切替をしたら、見られた。アナログ放送か?そこで、息を呑んだ。東北地方の津波の被害。波に呑み込まれていく集落の姿。言葉が出なかった。

 私の実兄も無事。会社から、バスを乗り継ぎ乗り継ぎ、帰途についている最中だった。心臓が悪いので心配だったが、心臓の薬は持っているとのこと。そして、叔母からも電話が入った。「大丈夫?」

 日本のこの惨事の映像が世界中に流れたのだろう。夫のところにも、フランスから、私のところにもスイスやアメリカから、お見舞いメールが届いた。埼玉に程近い武蔵村山に住む姪や甥からも連絡が入り、お互いの無事を確認。

 今、悲惨な状況になっている東北の各地域。なじみのある地域も含まれている。TVで地域の名前が出るたび、思い出す。子供のサッカーの試合で行った松島。サイクリングに行った楢葉町、仙石線も乗ったし、花巻温泉も夫と次男と行った。なんということだ・・・。

 家族の安否を気遣って右往左往している人々の心を思うと胸が痛い。自分だったらまともでいられるだろうか。

 ここは、日本が一つになって、個々が自分にできることをしていかなければと思う。まずは、節電か?ということで、微力ながら不要なコンセントは抜き、電気をなるべく使わないようにしている。

 被災地の皆様には、心よりお見舞い申し上げますとともに、福島原発問題等、これ以上の被害が膨らみませんことをお祈り申し上げます。

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